海風想

つれづれなるままの問わず語り

「毒親」の物語ー『かぐや姫の物語』考

高畑勲監督の『かぐや姫の物語』について、書こうと思う。

内容について相当ネタバレしてるので、未見の人は避けることをお薦めする。


この作品を評して、とある人がこう言った。


「何でかぐや姫は事態を改善するために何の努力もしないの?翁の仕打ちが嫌だったのならちゃんと話し合えばよかったじゃん。それもせずに文句言って逃げてたのは自分の責任だろう」


この人は、随分幸せに育った人なんだな、と思った。


この物語は、いわゆる「毒親」の物語だと私は捉えている。

「毒親」とは、「毒になる親」の略で、文字通り、「成長の妨げになるような仕打ちを繰り返す、子供にとって毒になる親」という意味だ。

しかし、「毒親」の誰もが、「子供を虐げてやろう」などという悪意を以ってなるわけではない。むしろ「子供のためを思って」振る舞ったことが、結果的に子供にとって毒になってしまった、という事の方が多いのではなかろうか。


かぐや姫の物語』で描かれていた「毒親」は、まさにそのタイプの毒親である。

翁も嫗も、かぐや姫の幸せを第一に思って行動していた。

翁はかぐや姫のために山から都に引っ越し、立派な屋敷を建て、教養を身に付けさせ、しかるべき結婚相手を探すべく奮闘していた。

だが、かぐや姫が本当に望んでいたのは、野山で泥にまみれながら生きることだった。

親が思う幸せと、子が思う幸せが一致していなかった時に起こる、典型的な悲劇の形である。


さて、果たしてここでかぐや姫は「話し合い」などが出来ただろうか?


翁は100%かぐや姫への愛情を以って一連の行動をしている。かぐや姫は何度も拒否反応を示しているが、それにも取り合わない(むしろ気付かない)ほど、「これがかぐや姫の幸せだ」と、自分の価値観を正しく信じて疑っていない。こういう人間に何か言ったところで、「いずれお前にもわかる」などと説き伏せられて終わるだろう。

これは、別に翁が悪いわけではない。

「お金持ちになって高貴な人の妻になる」ことが、娘にとって最高の幸せだということは、当時の人間がありふれて持っていた価値観である。

月の天女であるかぐや姫にとっては、たかだか人間の帝の妻になること位、瑣末なことではあるが、元は竹取だった翁からとってみれば雲の上の話だ。人間は、自分が生きている世界の範囲でしか物事を見られない。翁は平凡な常識人なのである。

その平凡な常識人が、平凡な常識人なりの価値観で考え得る、最高の幸せを娘に与えようとした。ただそれだけのことである。

だが結果的に、かぐや姫は「もうここには居たくない」と世界に絶望し、月に帰ってしまう。


最後の最後に自分の過ちを悟った翁は、「許してくれ」と呟く。

でもこの翁は、「かぐや姫が二度と会えない所に行ってしまう」という取り返しのつかない事態になって初めて己の過ちに気付いたのであって、おそらくそれがなかったら永久に気付かなかっただろう。


ちなみに、この作品に毒親はもう一人いる。

翁を止めなかった嫗のことではない。

それは「月の世界」である。


元々のかぐや姫の故郷である「月の世界」にいる、かぐや姫の保護者(おそらく天帝)が、真の毒親である。

ここで劇中描かれていた月世界の行動を時系列に沿って列挙してみよう。


①地球に憧れたかぐや姫を罰するために地球にかぐや姫を追放する

②竹を光らせて、翁に姫を発見させる

③翁に黄金を与える

④翁に錦を与える

⑤姫が「ここに居たくない」と念じた瞬間、問答無用でお迎え宣言

⑥半ば強制的に衣を着せて姫を月まで連れ帰る


問題は③と④で、これが無かったら翁は都に出てくる資金が調達出来なかったし、出てこようとも思わなかっただろう。現に翁は「この衣にふさわしい暮らしをこの黄金で姫にさせよとのお告げに違いない」と語っている。

要するに、作為的に姫の憧れた自然豊かな野山を離れるように仕向けたのである。

劇中でも原作でも、月の都の人間はこの地球のことを「穢れた地」と蔑んでいる描写がある。そんなキタナイ所に憧れるかぐや姫の考えは、月の住人には到底理解出来ない。

だから「罰」としてかぐや姫を地球に追放するものの、なるべく早く戻って来られるように仕向けるのである。

翁に黄金を与えたのは、

「ホラ、地球はこんなにも穢れた地なのだから、早くこちらへ戻ってらっしゃい」

という、かぐや姫へのアピールのように私には思えた。

この「自分の価値観を疑いもせず、相手の意思を無視してでもそれを押し付けようとする」のはまさに翁と同じ毒親の行動パターンであり、しかもこちらは当然反省などしない上に、「記憶を消去する」というマインドコントロール能力まで持っているので何層倍もタチが悪い。

むろん、「話し合い」など不可能だ。月の世界に悪意は無いが、その意志を動かすことは神意を動かすに等しく困難である。


かぐや姫はまるで、毒親から逃れて別の人と幸せな家庭を築こうと思ったのに、結局その人もモラハラしてくるような人で、逃げ出したいとボヤいたら実家に強制的に連れ戻される、みたいな過程を辿って月に戻る。

しかも、人間の毒親ならいずれ死ぬが、月の人間は不老不死なので永久にこのままである。まさに地獄だ。


この物語は「毒親」の物語である。

だが、「毒親」とは明確に悪意を持った人間だけではなく、善良で、「子供に幸せになって欲しい」という親心を持っている人間もなり得るのだ、と、この救いようのない物語は教えてくれる。

では、親の意志を押し付けないために子供の好き勝手にさせればそれでいいかと言えばそうではない。

大事なのは、「これでいいのか」と常に悩み続けることなのだろうと思う。

翁も月世界も、「これが相手のためになるはず」と信じ切っていた。だからかぐや姫の苦悩にも気付かないし、己の過ちにも気付かない。

これは子育てに限った話ではないだろうが、「疑わない」ことは非常に危険なのである。

かぐや姫が世界に絶望して月へ帰ってしまう様は、「善意は人を殺すこともある」という示唆のように思えた。

私がもし人の親になる時があったら、この物語を心に刻んで戒めとしたい。