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海風想

つれづれなるままの問わず語り

『エイジハラスメント』という奇妙なドラマについて

テレ朝の今季夏ドラマ『エイジハラスメント』について書こうと思う。


このドラマはまだ第二話が放映されたばかり、という序盤も序盤なので、今後の経過次第では感想も変わってくるとは思うが、とりあえず今まで見て感じたことを述べようと思う。

『エイジハラスメント』は近年よくある、社会問題の一つを取り上げそれを主眼に据えた「社会派ドラマ」であると同時に、現実の我々が言いたくても言えない、やりたくてもやれないことを主人公に肩代わりしてもらう、いわば「カタルシス系ドラマ」の体裁もとっている。
しかし、前者の特徴である社会問題(この場合はエイジ・ハラスメント)に関しては、やや現実離れし過ぎるレベルで存分に強調しているとは思うが、後者のカタルシスについてはどうにも弱い。
というか、もどかしい。
出そうで出ない、出たけど残便感がある、視聴後の爽快感がまるで無い、そんな感想を否めない。
これはなぜなのだろう。以下に分析してみた。

①主人公が微妙

「カタルシス系ドラマ」の最大にして最低限の条件は、まず「主人公は正義の味方」であることだ。
完全無欠とまでは言わなくても、主人公の考えは正しく、魅力的で説得力がなければいけない。そうでなければ、反対派や悪役をやり込める時に視聴者がカタルシスを得られないからだ。
そのため主人公にはある程度以上のスキルや才能が求められ、何か一つのことについて抜きん出た天才であるとか、文武両道に長けたスーパーマンであることが多い。
例えば『半沢直樹』の主人公・半沢は、優秀な銀行マンで部下からの信頼は篤く、家庭では妻の尻に敷かれがちながら概ね良き夫である。正しく生きる、優秀で理想的なサラリーマン、それなのに上司から不条理な出向を命じられたりする、だから「頑張れ半沢!」と視聴者は思うし、上司をやり込めた時は「よくやった!」と喝采を浴びることになる。ところがこれ、もし半沢がルーティンもこなせないようなボンクラだったら、説得力の欠片もなくなってしまうのである。

さて、一方このドラマのヒロイン、武井咲演じる吉井は、商社の新入社員で、バリバリのキャリアを目指すつもりだったのにいきなり総務部に配属され、雑用ばかりをさせられる日々を不満に思っている。正直なところ、この設定も正義の味方としては「微妙」である。ここまで大きな自社ビルを構える企業の総務部は、電球の取り替えみたいな仕事はビルメンテの人間に任せるだろうという現実感の無さもそうだし、そもそも「雑用なんてキャリアのやることではない」という差別意識を不愉快に思う視聴者もあるだろう。
しかしそこは「雑用だって立派な仕事である」と、ヒロインが気付いていく成長物語としての演出なのではないかと、はじめは思ってた。

ところがこの吉井ちゃん、度々このような「新人としてそもそもどうなんだろう」という言動を繰り返している。
社屋のエレベーター内で他の社員も居るなかで突然果物を頬張ったり、先輩に「お疲れ様でした」と挨拶されてるのにぶっきらぼうに「はい、疲れました」と返すエピソードなどは、主人公の豪胆さを表現したのかもしれないが、単なる「非常識な新人」として映ってしまう。
曲がりなりにも与えられた自分の仕事を「雑用」と蔑んで嫌々こなし、挙げ句の果てに「もっとやり甲斐のある仕事をください」と上司に訴え、それが聞き入れられなければ同じことをその上の上司に直訴する。
稲森いずみ演ずる大沢課長の「あなたはまだ入社四ヶ月なのに何を焦ってるの?」や「もっと周りを見て」という言は至極尤もである。

そのような非常識エピソードが積み重なってるせいか、クライマックスの「40人分のお茶汲み」にブチ切れるシーンも、「自分の頭のハエも追えないくせに文句だけは一人前の新人が、突然ブチ切れて先輩に怒鳴り散らす」ようにしか見えず、見ていて清々しさが皆無なのである。
続く二話目はまだ、ブチ切れる相手が「若い女にやに下がり、年老いた妻を冷遇する」クズい不倫男であったため、視聴者の共感は得やすいかもしれない。それでも、主人公がどの立場から憤っているのかがよくわからず、やはり「唐突にブチ切れた」という印象が拭えなかった。

何よりこの主人公、「行動理念」というものがまるでハッキリしていない。
当初は「商社のキャリアになってバリバリ仕事したい」とか「苦しい実家を助けてあげたい」とか、わりと型通りの志がほの見えていたが、意に染まぬ部署に配属されてその志もボヤけてしまったように思うし、一話目で退職に追い込まれた先輩の仇を討ちたいというわけでも、「職場のハラスメントと断固戦う」でも別になさそうである。
このような勧善懲悪の形式をとった「カタルシス系ドラマ」においては、主人公の行動理念や立ち位置というものが最も重要なのだが、それがイマイチ不明であるゆえに、折角のクライマックスシーンも理由なくキレてるようにしか見えないのである。
これは後の展開で確立していくことを是非期待したい。今の人物像のままでは、ヒロインとしてあまりに貧相である。

②課長のキャラがブレブレ

勧善懲悪形式のカタルシス系ドラマの魅力を支える大きな柱の一つとして、「悪役の魅力」というのも欠かせない。
またしても『半沢直樹』を引き合いに出すが、あのドラマは悪役がものの見事に憎たらしくしかしコミカルに描かれ、主人公が彼らをやり込めた時は胸がすく思いがすると共に、その反応の滑稽さゆえに後味の悪さも残らない演出になっていた。
逆に社会派ドラマにおいては、「悪役」は悪役であって悪役でない、という描き方をするのが優れたドラマの要件である。なぜなら現実の社会問題は複雑で、善悪の区別が容易につけられるものではなく、仮にそのような色分けを安直にしてしまえば、ドラマ自体が軽薄なものになってしまうからだ。
近年、ハラスメント問題を描いた社会派ドラマとして非常に優れていた『問題のあるレストラン』においては、便宜上「悪役」として描かれた男達の事情も後にきちんと描かれており、対立ではなく共存を望む主人公達の願いが際立つ演出がされていた。

さて、ここで『エイジハラスメント』の大沢課長(稲森いずみ)に立ち返りたい。
正直、彼女のキャラは「ブレブレ」である。二話目を見終わった今も、私には彼女の人物像というものが掴めていない。これが演出だとしたら、通常一人のキャラに一つないしは二つ位しか特徴を与えないテレビドラマにおいては、非常に斬新である。
大沢課長は始め、繊維二課の優秀な社員だったにも関わらず、後輩の男子社員に課長として抜かれ、畑違いの総務課長に飛ばされるという、まさに「エイジハラスメント」の被害者として登場する。仕事面では冷静沈着な人でありながら、悩める女性キャリアという側面を持つ人物、というふうに描かれていくのだと、私は思った。
ところが、ヒロインが配属されていきなり「若いというだけで憎たらしい」という謎の器の小ささを発揮し、しかも抜かれた後輩男子と実は不倫関係にある、という生臭さ。ああ、「ヒロインをいじめる悪役」として描かれるのかな、と思い直した。
ところがその後もヒロインをきちんとフォローするし、仕事の上ではしごく真っ当な上司として振る舞い続ける。でも反面では「痛い」というワードを異様に気にしたり、独身のお局様に対して「既婚だから自分はマシ」と安心してみたり、若いヒロインに対して年老いた自分を感じて焦ってみたり、結局あんたの立ち位置どこやねんという感じで第二話が終了してしまった。

おそらくこれは、社会派ドラマにおける"悪役"が持つような「悩める女性」「虐げられる女性」「(期せずして)加害者になってしまった女性」などという側面と、カタルシス系ドラマにおける「いじめ」「嫉妬」などの"悪役"要素を全部トッピングした結果、このようなちぐはぐな人物像が出来上がったのだと思われる。
こちらも今後彼女がどういうスタンスで行くのか確定すれば、ドラマがぐっと面白くなるはずである。

③決め台詞がダサい

勧善懲悪形式のドラマにおいてはしばしば、主人公がいわゆる「決め台詞」を放つことがある。
ドラマ自体がヒットすれば流行語大賞にすらなる位であるから、この「決め台詞」は単なる口癖の域を超え、主人公の人となりを一発で表し、なおかつ物語のアクセントとなるような、キャッチーでハイセンスな言葉選びを求められる。
例えば『半沢直樹』の「やられたらやり返す、倍返しだ!」や古いところで『家なき子』の「同情するなら金をくれ」辺りはその代表格である。『ごくせん』のヤンクミのように、髪をほどく仕草と効果音がその代替をすることもある。

それを鑑みてこの『エイジハラスメント』を改めて見ると、吉井は確かにキレる直前に決め台詞らしき口癖を吐いている。

「てめえ、五寸釘ぶち込むぞ!」

しかしこれ、決め台詞としては正直「0点」である。

一応これは彼女の郷里の父より教えられた、「逆境に負けずに踏ん張れ」という心意気を表す言葉なのであるが、"五寸釘ぶち込む"という行為はおよそ清涼感とは無縁の「丑の刻参り」を髣髴とさせるし、それは憤怒というよりは怨嗟と呪詛のイメージであるし、単に「容赦しないぞ」というような意味にしても「五寸釘をぶち込む」はやり過ぎである。単なる傷害予告にしか聞こえない。
このような過激な台詞を、端正な顔の可憐な娘が吐く、というところに意外性を持たせようとする演出なのかもしれないが、正直何の面白みも無いし、脈絡も無いので台詞だけ浮き上がってしまってる印象だ。結局ヒロインが「唐突にキレてる人(しかも品が無い)」になってしまってるのである。
私は内館牧子氏の原作は未読であるが、あれがドラマオリジナルの演出だとしたら、失敗だと言わざるを得ない。それこそ台詞無しで効果音挿入だけで良かったのではないか。


以上、私がこのドラマにカタルシスを得られない、三つの理由を述べた。

冒頭で私は「このドラマはカタルシス系としては弱い」と述べたが、実は「社会派ドラマとしても中途半端」という印象が拭い去れない。
「エイジハラスメント」という重要な社会問題を扱っていながら、人物考察やドラマ全体の問題提起が浅薄であり、見ている内に「結局エイジハラスメントって何なの?」と首を傾げてしまうことがしばしばだ。
おそらく中途半端に勧善懲悪的な演出を入れてしまっているせいで、キャラそれぞれの掘り下げなどが出来ていないことが原因と思われる。
しかし、カタルシス系としても決め台詞や悪役が今ひとつキマってないため、痛快さがない。
結果、どっちつかずの方向性不明なドラマになってしまっているというのが、今のところの印象である。

果たして今後の展開で社会派として化けてくれるのかーー例えばパワハラ被害者の伊倉(杉本哲太)や男性のマタハラ問題を抱えた佐田(要潤)などの物語がきちんと描かれるのか、今のところギャラリーでしかない女子社員達の事情は描かれるのかーー、もしくはカタルシス系で突き抜けて社内ドロドロバトルが勃発するのか、はたまたこのまま中途半端路線を突っ走り、安直にヒロインがキレて終わるだけのドラマとして終わってしまうのか、是非とも注目していきたいと思う。
個人的には、元NHKアナウンサー・山根基世氏の静謐なナレーションを無駄遣いしてくれないことを、切に願うばかりである。