海風想

つれづれなるままの問わず語り

計画無痛分娩体験記・前編

まだ結婚すら考えていなかったうら若い時分から、心に密かに決めてきたことがある。

 

「もし将来出産することがあったら無痛分娩にしよう」

 

無痛分娩というものの存在を知った時から、これは私の中で揺るがぬ信念としてあった。「麻酔打ちまくる危ないやつだよね」なんて揶揄混じりにジャッジされたりもしたけど。

理由は極めて明快で、「出産はめちゃくちゃ痛いと聞くから、もし痛みを軽減出来る方法があるならぜひ利用したい」というものだ。例えば、周りの健康な歯も含めて大きくタービンで削るのではなく、虫歯罹患部だけ削ることで歯の減りを少なくする保険適用外の新しい治療法があれば、ちょっとお金を加算してもぜひそれを試したいと、電車を乗り継いで遠い歯科にも出かけていくような私だった。

テクノロジーの進化によって、より快適な医療を受けられるのであれば、ぜひそれを享受したい。他でもない自分の身体のこと、それは数千数万の金に換えられるものではない。という考えがあった。

もちろん一般的な方法ではない医療にはリスクも伴うということはわかっている。無痛分娩を知った当時も、日本ではまだまだ一般的なものではなく、リスクばかりを声高に喧伝されていたものだ。

 

しかし着実に時代は変わっていた。ここ10年、少しずつではあったが、無痛分娩はお産の方法の一つとして広まりつつあった。そのタイミングで妊娠出来たことをありがたく思う。10年前であったら、周りの無理解も含めて、それを行うのはより茨の道であったと思う。道を切り開いてくれた先人達に敬意を評したい。

 

前置きが長くなったが、これは私が行った計画無痛分娩の記録である。かつて私がそうであったように、これから子供を産みたいと考えている人、しかし出産の激痛に躊躇している人、無痛分娩に興味がある人にとって、私の体験記が何かの参考になれば幸いだ。

しかし念のため断っておくが、これは私がかかった病院で行っていた方法であり、全ての無痛分娩がこういう感じというわけではない。あくまで一例としてお読みいただけたらと思う。

 

1.無痛分娩への道〜病院探しは椅子取りゲーム

実際の無痛分娩レポートの前に、無痛分娩を行うに至るまでが個人的にはかなり険しい道のりだったので、まずはそのことについて記しておきたい。

昨年夏の某日。検査薬の陽性反応を確認した私は、妊娠確認の病院を探して最初の壁にぶち当たることになる。

妊婦という免疫が下がるのに薬がおいそれと使えない身の上と、コロナ禍という特殊な時勢下、なるべく公共交通機関を利用しなくて済む近場の病院に通いたかったが、残念ながら徒歩圏内の病院は産科をやめてしまい、婦人科しかやっていなかった。実はこのように、「産科をやめてしまって婦人科だけになった病院」というのは存外多く、世の中は深刻な産科不足であるということを私は後々知ることになる。少子化の余波はこのようなところにまで及んでいるのだ。

妊娠判定をしてもらった病院で分娩する必要はない、だから妊娠確認は婦人科でも構わないということは程なくわかったが、そうは言ってもどこで産むかはなるべく早く目星をつけておきたい。私は近隣で無痛分娩をやっている産婦人科を調べ、ひとまず隣駅のAクリニックに予約を入れた。

しかしこれが、無痛分娩を巡る病院ジプシーの最初の一歩であるとはこの時予想もしていなかった。

これも後に知ることであるが、無痛分娩をやっていると謳っていたとしてもその方法・方針は医療機関によってかなり異なっており、希望者は全員無痛分娩の出来るところから、完全予約制で枠が限られるところ、また分娩可能時間も365日24時間OKというところもあれば、平日9時5時限定というところもあるなど(外れると通常分娩となる)、本当にまちまちであり、それは実際に病院に行ってみて初めて知るというパターンも少なくない。が、基本的には無痛分娩が出来る医療機関がその希望者の数に対して足りていないのは間違いなく、最新の機器と設備を備えた人気産院などは、分娩予約が熾烈な椅子取りゲームとなるのは必定なのだ。

希望してお金を払いさえすれば誰でも無痛分娩が出来るものだと思っていた私は、ここでまず大いにつまずくことになる。

まず妊娠確認をしてもらったAクリニックであるが、問診票に無痛分娩を希望する旨記入したところ「うちは基本的に経産婦さんのみ無痛分娩が可能です」と受付の人に言われてしまい、テンションがガタ落ちした(HPではそんなこと謳っていなかったのに!)。曰く、ここのクリニックでは初産婦は陣痛が来るのを待って分娩を行うので、計画的に無痛分娩を行うのが難しく、陣痛が「平日9時から5時の間に」来て、なおかつその時に無痛分娩を行う麻酔医が「空いていれば」(無痛処置は予約した経産婦が優先)、無痛分娩出来ますけど、というスタンスなのであった。実質、初産婦の無痛分娩は諦めろと言わんばかりだ。

それを聞いた時、「役所の受付時間じゃあるまいし、陣痛がそんな都合良く来るもんか!」とは思ったものの、いきなり病院を変えるのにも不安があった私は、心拍確認が取れて予定日がわかるまでそこに3回くらい通うことになる。

今思えば、初産婦が無痛分娩出来ないと知った時点でさっさと他の病院を探せばよかったし(予定日が出る前であれば紹介状すら不要であった)、そうしなかったことを後々悔やむことになるのだが。

 

結局無痛分娩を諦めきれない&そんな博打みたいな真似は出来ないと思った私は、もう一つ無痛分娩が出来ると謳っているB医院にも行ってみようかと考え始める。しかしB医院は予約ができず、当日受付だけが出来るシステムを採用しており、待ち時間がかなり長そうで躊躇ってしまった。

そんな中、予定日が出たので保健所で母子手帳をもらい、その時行った保健師さんとの面談で、この近くでは比較的大きな総合病院であるC病院でも無痛分娩を行っているようだという情報を得る。

そもそも私は母子手帳自体が妊娠判明したらすぐに貰いに行くものだと思っていたので、予定日が出てからでいいというのも地味に驚いた。そしてその時点で妊婦産婦をサポートする様々な行政サービスがあると紹介され、資料なども沢山貰うのであるが、これにちゃんと目を通して活用できる余裕が、人によっては絶賛つわり中の妊婦さん達に果たしてあるのだろうかは少々疑問であった。

 

幸いつわりもほぼ無かった私は早速C病院に行くべく、Aクリニックに紹介状を出してもらい、C病院の予約を入れた。

NICUもある総合病院、産婦人科の施設も新しく医療スタッフも豊富────C病院のことを調べれば調べるほど、なぜこんな良い病院が近場にあったのに気付かなかったんだろう、産むならぜひここで産みたいと上がり始めていた私のテンションは、しかしいざ診察を受けて冷水を浴びせられることになる。

診察室で聞かされたのは、「その日(予定日)の無痛分娩は枠が埋まっており繰り上げ待ちです」という無情な言葉であった。

は?繰り上げ待ち?そんな入学試験じゃあるまいし……

「ちなみにその繰上げというのは、どのくらい可能性があるんですか」

重い唇を開いて尋ねると、

「リスクがあって他の医院に転院になったり、やっぱり自然で産みたいと考えを変えてキャンセルされる方もおられますが、あまり可能性はないと思っていただいた方が」

どうやら希望は薄そうな口ぶりであった。

そりゃそうだろう。こんなに良い施設で無痛分娩できるなんて好機を、そう簡単に譲る人がいるなんて思えない。

「とりあえずご了承の上で繰上げ待ちに予約を入れますか?」

私の心理状態でそう感じたのかもしれないが、看護師さんの口調は有無を言わさないものがあった。私は無言で頷くしかなかった。

 

病院からの帰り道、雨まで降り出して泣きそうになりながら、重い足取りで歩いた私の脳内は、完全に「無痛分娩落ちた、日本死ね」の状態だった。

それにしても悔やまれるのは、もっと早くC病院に行かなかったこと。というのも、この数日前に予約の電話を入れた時はまだ私の予定日の枠は空いているという話であったので、タッチの差で埋まってしまったのだと思われたのだ。

自分の下調べが足りていなかったのは否めない。でもそれ以前に、そもそも無痛分娩がこんなに難しいことだなんて、思いもよらなかった。初産婦は対象外と言われたり、予約枠の上限があったり、そんな椅子取りゲームみたいなものだなんて。日本の産科医療はマジでどうなってるの?そりゃ少子化になるよね。等々、私のソウルジェムは呪詛に満ち満ちて真っ黒になりかかっていた。

 

しかし魔女化しそうな精神状態の中で、唯一残された希望として、待ち時間が長そうで避けていたB医院の存在を思い出した。この際待ち時間なんてどうでも良い、無痛分娩が出来る可能性があるなら────藁にも縋る思いで電話をかけて予定日を伝え、無痛分娩を希望する初産婦だが可能なのか、分娩の枠が空いているかを教えて欲しいと聞くと、「(無痛分娩が)出来るかどうかは医師の診察を受けてからの判断となるので、まずは一度来て欲しい」という回答だった。

とにかく一刻も早くB医院に行くべく、私はAクリニックに再び紹介状を出してもらった。なぜC病院ではなくAクリニックに出してもらったのかというと、これはC病院の予約をキープしたかったためだ。当時の私は視野狭窄に陥っており、紹介状を出してもらったら最後、もうCには通えなくなると思い込んでいた。それは避けたい、Bでも断られた時のことを考えたら、無痛分娩が出来る可能性が少しでも残ってるCの予約はキープしておきたいと考えたのだ。実際はそんなことはなく、紹介状を出してもらった病院にだって出戻ることは患者の自由だったのではあるが。

 

そしてB医院へ。

案の定なかなかの待ち時間の長さと、C病院とは比べ物にならないくらい「ザ・町医者」という雰囲気の待合室と診察室に最高潮に達していた私の不安は、しかし「無痛分娩出来ますよ」という先生からの言葉によって氷解した。

「えっと、予約の枠とかは」

「大丈夫。無痛分娩は僕がやるんだけど、僕がいる時は、いない時も時々あるけど、だいたいいるから、夜中でも対応できますよ」

ここの先生は、産婦人科兼麻酔医だった。だから24時間対応可能なのだとは、後に調べて知ったことだった。通常、無痛分娩は麻酔医の立ち合いの下行うため、無痛分娩可能な時間も、その麻酔医の勤務時間内に限られるということになる。ところがここの場合は、分娩を行う医師自身が麻酔医なので、平日9時5時限定の陣痛に賭けなくても対応が可能なのだ。なんて素晴らしいと思ったと同時に、なんで他の病院はそうじゃないのだろうとも改めて思った。

また分娩枠に関しても、予定日から逆算した38週ごろの計画分娩にするから問題はないという話であった。その医院では自然の陣痛が来てから無痛分娩処置を行う方法ではなく、事前に決められた分娩日に合わせて入院し、処置を行うという方法を取っていた。いわゆる計画分娩である。Aクリニックではこれは経産婦のみ行うとしていたが、B医院では初産婦でも対応するとのことで、まさに私にとっては地獄に仏であった。

なお、この医院では無痛分娩のことを「和痛分娩」と呼んでおり、これはお産の進行上完全に「痛くない」状態にするのは不可能なので、飽くまで痛みを軽減する方法である、ということからであるが、表記を統一するためにこのレポートではこのまま「無痛分娩」と呼ぶことにしたい。

この他にも硬膜外麻酔注入のリスクや、お産の時間が長くなる可能性など一通り説明を受けた後、自分の予定入院日を聞かされてその日の診察は終わった。

 

こうして私の病院ジプシーはようやく決着し、私はB医院で計画無痛分娩を行うことになるのだが、このようなことは妊婦には珍しいことではないとは後でわかったことだった。後日のファミリー学級で出会った妊婦さんは、とある総合病院の無痛分娩を8週になった瞬間に予約したと言っていた。そうでないと、予約が瞬時に埋まるのだと。初産婦無痛分娩NGのAクリニックに脳死で通い続け、3週も無駄にしていた私がいかに愚かであったかを思い知った。

今の日本において、無痛分娩というのは一種のプレミアムチケットだった。妊活の時点で産む病院の目星をつけておくのは当たり前で、特に希望者は全員無痛分娩ができるような人気産院には、たとえ遠かろうと頑張って通ったり、実家が近いのならそのために里帰り出産を選んだりと、何とか通えるように工夫する。近隣の三箇所を回って泣き言を吐いてる私などはてんで甘ちゃんであった。

しかしちょっと、これっておかしくはないか?というのは私の正直な感想である。

受けたい医療があるなら遠くても通うと息巻く私ではあるが、それは平常時の話で、何しろ当人は妊婦である。病気ではないとはいえ、一つの命を育てる一人ではない身体である。少しでも負担の少ない形を模索するのが、果たしてそんなに高望みなのだろうか?

事実、たった三箇所とはいえ、病院ジプシーはとても精神的にこたえた。無痛分娩を諦めるしかないのか、そうすると、あの「腰を撞木で撃たれるような」「生理痛の2000倍痛い」「悶絶して気絶して絶叫する」と先人達から散々聞かされたあの激痛を味わないといけないのか、「女の人は耐えられるように出来てるらしいよ」なんて言われても私が耐えられる保証はどこにあるのか、なんで虫歯治療にも麻酔を使うのにお産だけは麻酔無しで耐えるのがデフォルトなのか、おかしいおかしい、日本の婦人医療はホントおかしいと、日に日に精神の色相を濁らせていたものだった。

医療リソースが豊富と言われている東京都心部でこの有様である。ましてや地方などはどうなるのだろう?

ハイリスクなどの特殊な事情で無痛分娩の処置が出来ないというならまだ納得がいくが、抽選に外れたみたいな理由で無痛分娩ができないというのはひとえにリソースがあまりに足りてないからだ。

例えばもし自分が外科的処置が必要な症状を起こして倒れ、担ぎ込まれた病院で、麻酔が足りないから麻酔無しで手術しますね、と言われたら。「はい、お願いします」とすんなり承知できるだろうか?激痛を伴うことはわかりきっているのだから、当然抗議の声を上げるのではないか。しかし、お産に関してはこれがむしろ「仕方ないこと」のように扱われているのが、私には理不尽に思えてならない。

願わくば全ての妊婦さんにこんな思いをさせないで欲しいし、希望する人皆無痛分娩がどこでも出来るように、まずは麻酔医を増やしてください日本の医療と切に祈りながら、とりあえず長くなり過ぎたので一度ここで記事を締めたい。

 

後編ではいよいよ、当日のお産の様子をレポートしようと思う。