※この記事には母乳育児についての記述があります。
授乳に関する知識ゼロの意識の低いぼんくら妊婦だった私が、産後どういうわけか母乳神話に目覚め、母乳育児に奮闘するようになるまでの話を綴っています。所々に母乳育児についての偏った意見や見解などが登場しますが、何ら医学的な専門知識に基づいたものではありません。飽くまで一個人の体験記としてご笑納ください。
もし、ここまでの文章で辛くなったり不快な思いをされた方は、心を守るために速やかにブラウザを閉じることをお勧めします。決して特定の誰かや思想を揶揄したり批難したりする目的はありませんが、負の心情を喚起してしまいかねないデリケートな話題を取り扱っているからです。
子供を産んだら母乳なんてオートで出てくる。
かつて妊娠中の私はそう考えていた。
というより、「授乳については何も考えていなかった」という方が正しい。
以前こちらの記事で書いたが、妊娠中の私が一番に考えていたのは「無痛分娩が出来るかどうか」であり、それを無事に完遂することが一番の目的で、他のことにはまるで目が行っていなかった。
雑誌やネット、経産婦の友人らのアドバイスから、「出産準備」として授乳のための道具(授乳ケープ、搾乳機、哺乳瓶、哺乳瓶消毒器等)を一通り揃えはしたし、臨月の妊婦がやった方が良いと聞いているから乳頭マッサージなども一応してはいた。しかしこれは、かかりつけの産婦人科医の「母乳が出るためのスイッチは9割5分『分娩』だから、産前の乳頭マッサージは殆どプラシーボだよ」という言葉で、殆どやる気がなくなってしまった。今思えばこの医師の言は、計画無痛分娩を予定した妊婦が乳頭マッサージをすることで、予定日より早く陣痛を誘発してしまうことを防ぐための忠告だったのだろう。どちらにしろ、当時の私はそんなことに気が付く知識も余裕も無かった。とにかく「どう産むか」について頭がいっぱいで、「産んだ後どう育てたいか」までは全く気が回っていなかったのだ。
産んだ後のことを全く考えていなかった訳ではない。例えばお産入院中のスケジュール等は度々チェックしていたし、先人達の体験記なども読んでいたので、何をするのか位はわかっていた。とりあえずその時考えたのは「初日から母子同室ってキツそう」「夜は子供を預けてゆっくり寝られるのがいいな」ということだった。「産後はとにかく眠れないらしい」色んな人から異口同音に聞いた言葉だ。生来眠たがりの私は恐々としていたものである。幸い自分が産む病院は、産んだ翌日から子供と同室になり、体調によっては夜も預かってもらえるということだったので安心していた。産後の母子同室にどんな意味があるかなんて、深くは考えていなかったのである。
私が出産を予定していた病院は、いい意味でも悪い意味でも「放任主義」だった。経産婦の友人達の話などを聞くと、助産師さんとの面談やバースプランの打ち合わせなどがあったりするようだが、そういうのは皆無だった。定期的に通う妊婦健診では体調の相談や指導などはしてもらえたが、それは飽くまで妊婦と胎児の健康状態にまつわる範囲であり、出産及び出産後のことについては「聞けば教えてもらえる」という感じだった。積極的な妊婦さんなら、どんどん食い下がって色んな相談をしたのかもしれないが、先述した通り、意識が低い妊婦であった私と、この病院の放任主義はとても相性が悪かった。何も考えずに妊婦健診に通い、懸念事項といえば毎度厳しく指導される体重増加のことだけで、産んだ後赤ちゃんをどう育てたいか──例えば、母乳で育てたいかどうか、などについては本当に何も考えていなかった。
母乳育児についての、産前の私の認識はというと。
実母の「母乳で育てると頭が良くなる」という言葉を鵜呑みにして、なんとなく「良いもの」という漠然としたイメージしか抱いていなかった。
そうか、そんなに良いなら母乳で育てるか。あと母乳をあげているといくら食べても太らないらしい。それは素晴らしいな、じゃあ母乳育児頑張るか、くらいのゆるい考え方であったし、実は産後しばらくもこんな感じであった。
まさか母乳育児は「産後に努力しないと成功しない」「誰しもが出来るわけじゃない」などという、そんなハードルの高いものだなんてつゆほども思っていなかった。
かと言って、粉ミルクにネガティブなイメージがあった訳でも全くない。母乳と同様赤ちゃんを育てるのに必要なもの、母乳が足りない時に足すものらしい、じゃあ用意しておくか。という位の認識だった。自分が母乳が足りなくてさめざめと泣く側になるなんて考えてもいなかった。
繰り返すが、本当に何も考えていなかったのである。
しかし実際に蓋を開けてみたらば。
母乳育児は手軽に誰でも出来るもの、では全く無かった。
実は我が子は帝王切開で誕生後、哺乳不良で別の病院に搬送されてしまい、10日ほど入院することになってしまった。産後すぐは新生児室で預けられミルクを哺乳されており(これは産んだ病院の方針で、全ての嬰児が同じような処置をされるのだが)、搬送先の病院でも点滴とミルク哺乳、私が直接お乳を吸わせることができたのは、搬送先の病院にやっと私がお見舞いに行けた、生後一週間程経過してからのことだ。ゴールデンタイムなど遥かに過ぎた、遅い遅いスタートだった。
とにかく帝王切開後は麻酔と傷の痛みでイモムシほども動けず、ベッドに起き上がることすら一苦労だったので、「とりあえず初乳を出しましょうか」となったのは翌々日の夜くらいだったか、ここで初めて助産師さんから乳頭マッサージの指導を受け、やっとそれらしきものが滲み出たのは産後三日後のことだった。子供は別の病院に入院しているので、途中から搾乳機を借りながら何とか搾り出した5mlとか10mlとかの初乳を、せっせと冷凍しては夫に頼んで運んでもらったり、退院してからは自分でも持って行ったりした。
この時、本当は頻繁に搾乳を行わないといけなかったのであるが、私は「産後疲れてるお母さんの回復が一番」という言葉を都合良く解釈して、夜は普通に寝てしまっていた。きっと身体のスイッチがまだ入りきってない、子供と一緒に寝起きするようになれば、そのうちジャージャー出るようになるさと、謎の楽観視を決め込んでいた。
子供が退院した後も、当然のことながらミルク寄りの混合だったが、母乳は一応先にあげてからミルクを飲ませるようにしていた。しかし咥えさせ方が拙く、そのうち乳首が切れて痛んでしまい、乳首を休ませるために母乳をスキップしてミルクのみにすることもままあった。
「そのうち出るようになるさ」という私の希望的観測が打ち砕かれたのは、産後三週間後に行った産後ケアでのことだ。
産後ケア自体は産前から予約していたもので、予約当時はとにかく母体(自分)を休める目的だったが、いざケアに入った時は目的が少し変わっていた。産後すぐに子供が別の病院に行ってしまい、お産入院が満足に出来なかった私は、母乳育児を含めてもう一度プロの指導で母親強化合宿をやり直したかったのだ。むろん、そこには母乳育児の上達も含んでいた。
産後ケアのスタッフはさすがプロで、こちらの希望通りに授乳スタイルの見直しやアドバイスを的確に行なってくれた。しかし、ここで私は同時に厳しい現実を知らされることになる。
曰く、「子供の体重の増えが悪い」そして「今自分が出せている母乳の量は(平均的に)少ないし、子供の月齢からいって今後劇的に増える望みは薄い」ということだった。
子供の体重が少ないのは、哺乳量が足りていないということなので、足すミルクの量を増やすことでとりあえず解決する。しかし母乳がこれ以上増える望みが薄いとは?
頭に思い描いていた「そのうちジャージャー出る」という状態からは、確かにせいぜい多くて30ml程度しか出ない今の私の乳は程遠い。でもこれは初産でまだ上手く身体のスイッチが入ってないからではないのか?
ここで助産師さんから更に絶望的なひと言をいただく。
「ここに来る産婦さんは皆さん、母乳は出したいです、でも夜は休みたいです、という方が多い。でも、それは無理です。母乳を出したかったら夜も起きて授乳しないと。母乳で育ててるお母さん、皆さん寝不足でフラフラになりながらあげてますよ」
産後三週間、ようやく自分の認識の甘さを思い知らされた。
そうなのだ。夜間授乳は母乳育児成功の鍵。ちょっと母乳育児について調べたらすぐに出てくるような、こんな知識すら持ち合わせていなかったのだ。
これを聞いて、「じゃあ夜寝たいから母乳やめます」と、産前の私ならなったかもしれない。
しかし産後の私は、かえって母乳育児への執着が増したのだった。
ここから私の、母乳育児成功への挑戦が幕を開ける事になるのだが、長くなったのでここで一旦筆を置きたい。