海風想

つれづれなるままの問わず語り

”地元”って何だろう?

「地元」って何だろう。
最近友人と地元の話になって、そういえば自分の「地元」って何だろうと、改めて考えてみたが、考えれば考えるほど、自分には「地元」と呼べるものはないのではないかという気になってくる。

「地元」という単語を辞書で引いてみると、

 1.    その事に直接関係のある土地。本拠地。
 2.    自分の居住する、また勢力範囲である地域。

という感じのことが概ね書いてある。なるほど、自分の居住地かつ勢力範囲のことか。当たり前すぎる感想を抱く。
「居住地」これはもちろんわかるとして、「勢力範囲」というのがいささかひっかかるワードである。
戦国武将ならば、自分の国衆が住まう、自分の統治下にある土地、というふうにわかりやすく定義できるが、現代の一市民でしかない自分が持ち得る「勢力」とは。
たとえば友人とか知人とか親類とか、自分に何らかの縁ある他人が一定数まとまって住んでいたり、仕事や生活などで何らかの繋がりがあったり、自分が死にでもすれば「あいつ死んだらしいぜ」という情報が広がる。というのが現代でいうところの最低限の「勢力範囲」と仮定しよう。しかし、それは「ご近所」と何が違うのか、ということになる。またしても袋小路にはまる。
辞書における定義はひとまず脇に置いておくとして、「地元」から連想するイメージを書き出してみることにしよう。

1.    自分が生まれ育った土地。
2.    厳密に生誕地ではなくても、そこである程度の年月を過ごしていること。
3.    その土地に昔からの顔なじみが住んでいること。
4.    その土地の学校を出ていること。
5.    その土地に帰ると「地元に帰ってきたなあ」と懐かしく思えること。

 

だいたいこんな感じだろうか。

これらに一つずつ自分の回答を当てはめてみると、まず①については明確に決まっている。都内某所のS町だ。

そうなると、②もおのずと決まる。生まれ育った土地S町から、私が初めて出たのは結構な年齢になってからだ。それまでずっと、実家もしくは実家のごく近くに居住していた。ここまで来れば、お前の地元はS町だろうということになる。しかし、問題は③と④だ。

私には、S町に顔なじみと呼べる人はほとんど住んでいない。ごくごく昔は、隣家のおばあちゃんとか、公園デビューの時の幼馴染とか、商店街の八百屋のおっちゃんとか、いわゆる「近所の顔なじみ」と呼べる人は住んでいた。しかしその人口は年々減り、今ではおそらく絶無に等しいだろう。

これは④の回答にもなるが、私が「地元の学校」というものに通った経験が皆無だからであるとも言える。私は幼稚園の時から、バスなり電車なりを乗り継いだ、大人にとっては大した距離でなくとも子供にとっては「遠く離れた」学校に通う生活をしていた。よって、近所に住む「同級生」はおろか、同世代の人間すら誰も知らない。

そもそも、自分の隣家に誰が住んでいるのかすら、ほとんど知らないで育った。親の代くらいまでは、隣家におすそ分けしたりお通夜に行ったりする付き合いくらいはしていたようだが、私の代になったらそんな付き合いは当然のように絶えてしまった。概ねそういう付き合いは、それを担っていた年寄りが死んだ途端に糸が解けるように散逸してしまう。子供世代もしっかりとそれを受け継いでいくことは稀だったし、相続税が莫大にかかる土地の習いとして、次世代に移ると売却して別の土地に移ってしまうことも多かった。私が知っているだけでも、そうして無味乾燥なマンションなり駐車場になっていった家が何軒もある。

もとよりファミリー世帯の少ない土地でもあった。同じマンションの住民さえ、子供ができるともっと広くて子育てしやすい土地に越してしまうものだった。私が地元の小学校に通わされなかった理由の一つでもあるのだが、同世代の子供というのが、私の時代ですら圧倒的に少なかった。当然、そういう地域は子育て世帯向けの施設などはどんどん削減される。児童館はあっという間に閉鎖され、ついに近所の小学校も閉校になったと聞いた。

住んでいるのは単身者と、昔からそこに住んでいるお年寄りだけ、というまるで限界集落みたいな土地であるため、当然のように商店街もどんどんさびれ、私が子供の時にはあった八百屋も魚屋も豆腐屋もすべてなくなり、現在はスーパーが一軒とコンビニ、あとはかろうじて生き残っている米屋と、いつ物が売れているのかさっぱりわからない荒物屋のみが残っている。ただ本当の限界集落と異なる点は、人々の居住地域以外のエリアはビルが立ち並び、道路に車も人も大勢行き交っているので、一見栄えているように見えるのだ。おそらく、単に遊びに来ただけの人にとっては「全然活気ある町じゃん」と言われるだろう。しかし、そこが住み易い町であるか、町としての骨組みがしっかりしているかどうかは、また全然異なる話である。

大き過ぎる繁華街のそばには、そういう都心のエアポケット的な地域が存在していて、S町はまさにその典型だったと言えよう。あの町の最も良い所は「交通の便」ただそれだけで、そこからどこにでも行くことが出来たが、町自体には「実質何もない」がらんどうの町だった。というのが、私のS町に対する総括的な感想である。その「交通の便」がいかに大きな財産であるかも重々承知しているのだが、それは一旦脇に置いておきたい。


話を元に戻そう。

最後の問⑤「その土地に帰ると『地元に帰ってきたなあ』と懐かしく思えること」であるが、これについては、「はい」と答えざるを得ない。

この前、およそ数年ぶりに、元実家である辺りを散歩し、何度となく行き来した最寄り駅までのルートなどを歩いてみた。

確かにここは、私がかつて住んでいたことを知る人はほぼいない町ではあるけれど、私自身がこの町のことを、この町に住んでいた自分のことを、鮮明に覚えていた。

昔あった店の面影を今ある店に重ねてみたり、アスファルトの小路にかつて砂利道だった頃のことを思い出したり、とうに代替わりしている駐車場の猫や、記憶の中よりだいぶくたびれてしまった建物を見たりする度に、ああそうか、ここは間違いなく私の「地元」そして「故郷」だったのだなと感慨深かった。

数十年という年月は、自分の中でも知らない間に、愛着とも郷愁ともつかないくすぐったい感情を、薄く積もらせていくものなのだろうと思う。


そんなわけで、冒頭の問いかけとは真逆のことを言っているが、私の「地元」は確かに存在していた。

もちろん、「地元の友人」とか「地元の学校」と呼べるものが存在していないことも、また事実だ。しかし地縁というものはとんと築いてこなかったと思っていた私も、自分の中にある「記憶」という名の地縁だけはがっちり根付いていることに気付かされたのだった。そしてそれが、思いのほか豊かな森として、自分の中に根付いているということも。

私は地元愛の薄い人間だと思っていたが、どうもそんなことはなかったようだ。

S町で知らず知らずのうちに培っていた苗木を、今度は今住まう土地に植える作業をすることが、これからの後半生の仕事なのかもしれない。ここが私の、第二の「地元」になることを祈って。